美濃國御勝山麓住藤原永貞 文久三年八月於東都作之 新々刀 トップ 上々作

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商品情報

美濃國御勝山麓住藤原永貞 文久三年八月於東都作之 新々刀 上々作 刀長:72.9㎝、刀身重量:950g
元幅:約3.45cm
元重:約7.5mm
先幅:約2.5cm
先重:約5 mm
刀身重量:約950g
棟は庵棟です。
素人計測ですので誤差があるかもしれません。刃切れ、鍛え傷、刃こぼれ、等致命的なキズはありません。
出品物は骨董品・品です。時代物としてのスレや、変色等が御座います事をご理解ください。
写真をご覧いただき、納得の出来る方の入札をお願いします。 ノークレーム・ノーリターンでお願い致します。
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藤原永貞は本名を松井治一郎といい、文化六年(1809)、美濃国不破郡(現在の岐阜県不破郡垂井町表佐一色四番町屋敷)に寺侍・松井直三郎の子として生まれた。 赤坂千手院道永に学んだのちに独学で鍛刀を研究して独自の作域へと昇華させた。江戸時代末期の美濃国刀工中、随一の名人と称せられた美濃国金重後裔を称する優工である。紀州徳川家の御用を勤めて松江、山城などでも鍛刀し、万延元年頃(1860)には伊勢田丸にて駐槌、文久二年頃(1862)から慶應頃(~1867)までは江戸青山の紀州家の老臣・久野丹波守の下屋敷で作刀している。明治維新後は郷里の垂井町表佐の生地、御勝山麓に帰り、明治二年(1869)六月二十二日歿、享年六十一。御勝山永貞の作刀は現存するものが少なく、その作風は清麿一派に近似するところがある。反りの浅い切先の延びた豪壮な体配に沸本位の大互の目乱れ刃を焼き金筋や砂流しの現れた力強さを感じさせるものである。 生地が御勝山の近くであるので、銘に「御勝山麓住」と切りそえるものが多く、「御勝山永貞」と呼ばれている。明治2年(1869)6月22日に没した。行年51歳、法号釈浄貞居士。(岐阜県垂井町文化財アーカイブより引用)


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